INTRODUCTION
天候が悪化するとやたらとエネルギー・レベルが増す奴らが必ずいる。真っ昼間にも関わらずロードが点となる向こうが真っ黒になってくると、今まで風を避けて後ろにいたのが吸い込まれるかの様に前に出てきて、サクランボほどの雨粒が激しくオークリーのレンズにはじかれるなり彼はサドルから立ち上がり突然リズムをつかみ闇が待ち構えているコーナーの向こうへと消えて行く。たしかにデビル顔負けの微笑みが横から漏れていた。サニー・カリフォルニアが良いと皆は言うが、温度計のマイナスサインや、6月の雨の音に起こされても何の躊躇も無くジャージとジャケットに着替えて外に出て行く者こそが他の落ち込みをエネルギー源として輝く。
1988年のGiro d'Italia 第14ステージ。その日越える予定の最難関ガヴィア峠の天候:吹雪... イタリア人ライダー達が必死に抗議する中、アメリカの7-11チームに所属していたAndy Hampstenは吹雪のガヴィア峠を突き進み、この日の終わりにはアメリカ人として初めてマリア・ローザ(Giro d’Italiaの総合リータージャージ)をまとい、最後までキープすることとなる。6月5日のストーリーはレース界で最も語られるステージの一つとなり、Raphaの
Andy Hampsten Jerseyをデザインするインスピレーションとなった。
Portland, Oregon USA, June 5, 2008
「やめておけ」
自転車乗りは単純なもので、あらゆる理由でサイクリングの世界観の虜にされる。いつも一緒に乗る連中、センチュリー・マーク、そびえ立つ峠、シンボル的な日、そして悪天候。Andy Hamstenが歴史に残した記録はそのすべての条件がそろった「ライド」だった。
ちょうど20年の年月が経った2008年6月5日、20名のライダーがオレゴン州ポートランドにあるRapha USAオフィス前に集まりストーム・チェーサーのごとく吹雪を求めてラーチ・マウンテンへと向かった。6月1週目のポートランドの天気はもちろん雨。この調子だと山の方は...
ラーチ・マウンテンはオレゴン・ライダーの中では有名なマウンテン・ロードだが積雪量が半端でないカスケード山脈は6月になってもまだチャレンジするには早すぎる。7月でも条件が揃えば吹雪になるくらいだ。
出発前、イタリアはタスカニーでツアーガイド中のAndy Hampstenに一本の電話を入れる。まずはこの日10℃のコールド・レインの中でライドするインスピレーションを与えてくれた事を感謝し、20年前のエピソードを思い出してもらい、アドヴァイスを聞く。オレゴン・ライダー全員の走行距離を合わせても追いつかないほど走ってきた足の持ち主であれば何か教えてくれるだろうと期待する。
Andy Hampstenから帰ってきた一言は:
「やめておけ...」
丁度その日、タスカニーも雨。記念ツアー準備中のAndy Hampstenですら中止を余儀なくされる。そして、最後に冷たい雨・雪を知りながら走り出す正当な理論を彼から求められ、Andyだって走ったじゃないかと返すと「僕はお金をもらって走っていた」。

ハイになっていたからか、寒くなるのを知ってのウォームアップをかねてか、それともただ単にこの日みんな足があったのか、22キロに及ぶラーチ・マウンテンのクライムの麓にたどり着いたときにはペースが上がりお互いを意識しはじめる。
深い緑の巨木ダグラス・ファーの原生林越しに見える壮大なコロンビア渓谷が見渡せるころにはグループ内ではやがて真実がフォーメションとして現れる。中には後ろでペースを組んでいるだけでハッピーな奴もいる。永遠に続く辛いクライムを仲間で味わっている自分の姿に酔っている。気温がどんどん下がってきているのをペダルを踏むごとに感じる。気がつけば辺りには白いパッチが見え始め、雨はやんでいた。だがレザーグローブが水を吸収したバーテープを握るたびにしみる。1キロ手前で道路閉鎖の標識がありゲートがかかっていたが、それは車の為のもの。6月にもなれば雪はまだ残っていてもさすがに上までなんとかラインを見ながら行けるだろうと考えていたのが甘かった。
山頂から8キロ手前、後続が先頭に追いつく。つまり天然のゲートだ。今日でいうラーチ・マウンテンの頂上まで来たこととなる。60センチ以上の雪が道路をまんべんなく埋め尽くしている。終了だ。しかし、満足感と達成感に満ちたグループは満面の笑顔でバイクを折り返し
Stowaway Jacketのジッパーをあごまで上げ、シューズカバーを絞り、体中の筋肉をかしめてポートランドへと戻る。
この日、仮に季節外れの吹雪が来ていたとしても20年前にAndy Hampstenが味わった辛さとは当然比較にもならないが、重要なのは子供の頃にプロ選手に憧れ、思い出のワンシーンを何度も繰り返して真似していたときと同じで、大の大人となった今となってもその姿にインスパイアされてちょっとでも彼らに近づいた気持ちになり幸せを感じることだ。